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kyosyo 1/64 Shelby Cobra Daytona Coupe

皆様、こんばんは。

usunonooです。



今夜は 京商 1/64 シリーズ より、

シェルビー コブラ ディトナ クーペ

をご紹介致します。





こちらの京商製1/64ミニカーのモデルとなったのは、1960年代半ばのル・マン24時間耐久レースで打倒・フェラーリを模索していたシェルビー・アメリカンが製作した幻のレーシングカー、シェルビーコブラ・ディトナクーペです。

当時全部で6台が生産され、実際のレースシーンにおいて目覚ましい活躍を魅せました。





シェルビーコブラ・ディトナクーペは、1964年2月に開催されましたディトナ2000kmレースが最初のデビュー戦となりました。同年3月のセブリング12時間レースのGTクラスでの初優勝を果たすと、早々と1964年6月のル・マン24時間耐久レース・GTクラスでも初優勝を果たしました。





その後、1965年7月にはフランスGP、8月のドイツ、9月にはイタリアGPでも勝利を収め、1965年のFIA GTクラスの年間チャンピオンに輝きました。





しかしながら当時のル・マン24時間耐久レースで大敗を喫していたフォードが、打倒フェラーリを掲げてGT40の改良をシェルビーに依頼した事によって、それまで連戦していたディトナクーペはひっそりとその活躍を終えることになるのでした。シェルビーによる改良を受けたGT40は1966年からル・マン4連覇を果たしています。





特に数奇な運命を辿ったと言われているのは、最初に開発・デビューを果たしたプロトタイプモデルのシェルビーコブラ・ディトナクーペCSX2287でした。



CSX2287は、1964年から1965年に活躍した後引退しベニスビーチのガレージで埃まみれで保管されたていました。とある人物が4500ドルで購入し、その約1年後にフィル・スペクター氏が12500ドルで購入し新たな所有者となりました。その後、彼のボディガードが1000ドルでCSX2287を譲り受けます。(転々としますね。)
購入したボディガードは次は彼自身の娘に譲り、その後も紆余曲折を経て20年もの間、レンタルガレージに放置されていました。





2001年に発見され、希少車ディラーのオークションにかけられると300万ドル(❗️)で落札されましたが、その破格の落札額や車両の所有権を巡り、その後当時のボディガードの妻や、あるいは元オーナーのフィル・スペクター氏やその他含む大裁判が勃発し、その権利の取り合いとなったそうです。





裁判も過ぎさらに別のユーザーの手に渡った後に、現在のシェルビーディトナCSX2287は、アメリカはフィラデルフィアにある博物館で展示され、余生を過ごしているそうです。


6台のシェルビーディトナが圧倒的な性能を持ちながら短い期間での活躍であった事から、今もなおカリスマ的な人気があるモデルのようで、現在に至るまでシェルビーディトナのレプリカモデルは数多く生産されています。
中には500ps以上のエンジンを積み込んだレーシングカー的なレプリカもあるそうです。



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